昨日の本を読んでいて、
ふと思いついたのが、悲劇と喜劇との差異について。
前者は英雄などが、
不条理にもカタストロフィを迎えるもの。
(そもそもカタストロフィって言葉がギリシア悲劇起源ですな)
後者は市井の人々が、なんやかやあった後、
有るべき状態に落ち着くというもの。
(予定調和ってのとは、少し違う気がするが)
あれれ、前者については、
アリストテレス『詩学』に似たようなことが書いてあった筈だが、
後者も、そちらを読んでの記憶が、
自分の思いつきであるかのように、
想起されているのかも...
ともあれ。
『カティリーナの陰謀』等の記述で、
カルタゴが根底から滅び、
全ての海と陸が(ローマに)開けつつあった時、
運命は荒れ狂い始め、あらゆることを混乱させはじめた。(10節1より)
と述べられる。
このような「運命の悪戯」が強調される思考の枠組みは、
ある意味、悲劇的な思考に基づいているのかもしれない、
と思った次第。
また、悪人が破滅を迎えるという、
勧善懲悪的な喜劇の枠組みを保ちつつ、
悲劇的な筆致で描写がなされる結末部をどう捉えるか、
という問題もあるかもしれない。
まぁ、いずれにせよ、
史書を作劇の作法で捉えるという問題についての、
断りが必要ではあるだろうな。
単なる娯楽としての文学作品として読むというなら、
不要かもしれないが。
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